不利な立場と迷惑行為の関係性
加害性のある弱者という言葉がある。不利な立場にある人が同時に迷惑行為を行うということだ。彼らを不利にした原因は被害にあっている人たちに直接の関係がない場合も多い。一般的に被害に合わないために危険な人間から離れることは手放しで奨励される。加害的な者がまた弱者の一面を持つのならば、それは弱者の排除であると言えるだろうか。
この問題には様々な事例が考えられる。単純な話で言えば比喩としても現実としても、危険な街路を夜に一人で歩くようなことでもある。または、時として保護が必要な人物が周囲の人に有ること無いことをいって集団を混乱させ個人に迷惑を与える場合もある。LINEグループから外されたりすることはままあるだろう。相対的に、なにか手当されないとならない人物であるかもしれないけれど、手立てを考えようもないので触らぬ神に祟り無しとなることが多い。
このように、加害性のある弱者は社会的にも個人的にも困難な存在である。だからこそ、社会全体で考えていかなければならないというのは当然のことだろう。しかし、どういう風にその考える場面を作っていくかは、語りようがないほど難しい。
いじめや加害的な弱者の問題に対して、虐められていた者が「いじめられるほうにもまた、その理由はある」というつぶやく場合もある。その言葉じりだけで過剰に叩かれるのも特徴的だ。口をふさがれがちな「いじめられるほうにもまたその理由がある」もまたいじめを考える問いかけになっていると思う。それを塞ごうとするならば、やはり全体で考えていこうというモットーはモットーでしかありえないんだろうなと思う。
あってはならないことがあってはならないのは当たり前だが、許さない、社会全体で考えていかないとならないと言いながらも口をつむぐしかないのが現状であろう。
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