2026/02/05

【ポイ活経過】Microsoft Rewards、意外と「悪くない」ので続いてます。

 前回、Microsoftのポイ活「Microsoft Rewards」について軽く紹介しましたが、今回はその後の経過報告です。

「ポイ活」と聞くと、これは今のところかなり気楽に続いています。

まずは現状のステータス画面を。



1日22円の積み重ね

さて、実際にどれくらい貯まるのかという話ですが、私の場合はだいたい**「1日で200ポイント強」**といったペースでコンスタントに推移しています。

これをAmazonギフト券に換算すると、200ポイントで約22円相当。 「たった22円?」と思うなかれ、です。これをざっくり1ヶ月(30日)続けると、約660円になります。

660円といえば……ちょうどAmazonプライムの月額会費や、dアニメストアのサブスク代に相当する金額なんですよね。 普段の検索ブラウザを使っているだけで、サブスクが一つ実質無料になると考えると、個人的にはけっこう「おいしい」と感じています。

内訳と手間について

200ポイントの内訳は、ざっくりこんな感じです。

  • 検索アクション: 約100ポイント

  • その他(連続記録、クイズ、アプリ起動など): 約100ポイント

「検索で100ポイント」を稼ぐには30回ほどの検索が必要になる計算ですが、ここが続くかどうかの分かれ目かもしれません。 私の場合は、普段からBingをメインの検索エンジンとして使っているので、意識して「検索しなきゃ!」と作業する必要がありません。普通に調べ物をしているだけで勝手に貯まっていきます。

残りの「その他」の部分も、スマホアプリを立ち上げたり、日替わりのクイズをポチポチしたりする程度。所要時間は毎日2〜3分です。検索は最小限にして残りその他部分だけサクッとやってもアンケートを埋めるよりシンプルにポイントを拾えるかとも思います。

ストレスフリーなのが一番

個人的にMicrosoft Rewardsが「悪くないな」と思っている最大の理由は、ストレスの少なさです。

コツコツ型のポイ活アプリによくある、「30秒の動画広告を強制的に見せられる」とか「ポイントのために外部サイトへ個人情報入力を誘導させられる」といったことがありません。 サクッと終わって、ブラウザを閉じるだけ。

毎日のルーティンに組み込んでもノイズにならないので、Bingでの検索に抵抗がない方なら、やっておいて損はない仕組みだと思います。

劇的に儲かるわけではありませんが、毎月のサブスク代の足しになるくらいの「ちょうどいい」お得感。 これからも淡々と続けていこうと思います。

ダイエット記・完 「疲れにくさ」という資産

 

ダイエット記・完 「疲れにくさ」という資産

減量生活を振り返るシリーズの最後に、改めて「筋肉」というものについて、今の正直な実感を記しておこうと思います。

ダイエットの世界では、「筋肉をつければ基礎代謝が上がり、寝ていても痩せる体になる」という説がまことしやかに語られます。 私も当初はそれを期待し、一種の魔法の暖炉を体内に作るつもりでプロテインを飲んでいました。 しかし、ここまでやってきて思うのは、そのイメージは少々誇張されているのではないか、ということです。

実際、筋肉が静止状態で消費するカロリーは、それほど劇的なものではありません。 苦労して維持した筋肉が、寝ている間に脂肪をガンガン燃やしてくれるわけではない。 では、なぜトレーナーたちは口を揃えて「筋肉を残せ」と言うのか。 そして、なぜ私も維持期において、なおタンパク質にこだわり続けるのか。

その答えは、代謝という見えない数字ではなく、もっと生活に密着した「動きやすさ」にある気がしています。

「腰が軽い」の正体

最近、NEAT(非運動性熱産生)という言葉をよく耳にします。 スポーツなどの特別な運動ではなく、家事や通勤、買い物といった「日常のちょこまかした動き」で消費されるカロリーのことです。

筋肉があることの本当の恩恵は、ここにあるのではないでしょうか。 筋肉が十分に維持されていると、体を動かすコストが下がります。 椅子から立ち上がる、階段を登る、落ちたものを拾う。 そうした些細な動作一つひとつにおいて、「よっこいしょ」という気合がいらなくなる。 疲れにくいから、一つの用事が終わっても座り込んで放心する必要がなく、そのまま次の用事に取り掛かれる。

「あえて運動をしている」という意識もないまま、結果として活動量が増え、カロリーが消費されていく。 私が目指したかったのは、勝手に燃える暖炉ではなく、この「腰の軽さ」だったのだと思います。

実感なき成功

では、実際に私が「筋肉が維持された!」という強烈な実感を持っているかといえば、正直なところよく分かりません。 多少身軽にはなったけれど以前より力が強くなったという自覚も薄いのが本音です。

ただ、一つだけ確かな事実があります。 それは、かなり思い切ったアンダーカロリー(摂取制限)を行ったにも関わらず、ひどい立ちくらみや、頬がこけるような「やつれ」がなかったということです。

それなりの減量幅を達成しながらも、コンディションを崩さず、貧血のようなふらつきも感じずにゴールテープを切れたのは、やはり意識的に摂り続けたタンパク質のおかげだったのでしょう。

「筋肉がついた」というポジティブな体感はありません。 しかし、「筋肉が落ちてボロボロになる」というネガティブな現象を回避できた。 この「何も起きなかったこと」こそが、タンパク質摂取の最大の成果であり、静かな勝利だったのかもしれません。

これからの食事

減量は終わりましたが、私の食事における「タンパク質を摂ることを気をつける」は習慣にしていこうと思います。日々の生活を「疲れ」に邪魔されないためです。

疲れの原因は様々です。睡眠不足の日もあれば、精神的なストレスの日もあるでしょう。 ですが、少なくとも「筋力不足で体が重い」という物理的な疲れだけは、食事で防ぐことができる。

「体を、ストレスなく動かし続ける」 そのためのメンテナンスコストとして、これからも卵を割り、納豆を混ぜ、時にはプロテインに頼りながら、この体を丁寧に使っていこうと思います。

(了)

2026/02/04

ダイエット記4 役に立ったモノ、食材

 前回の記事では、維持期の心構えや「係数1.4」といった理論面を整理しました。 今回は少し視点を変えて、実際にその理論を生活の中で回していくために役立った「モノ」や「食材」について記してみようと思います。

減量や維持というのは、精神論だけで戦うとどうしても疲弊します。 むしろ、便利な道具や優秀な食材という「武器」をうまく使い、意志力を使わずに環境を整えることこそが、長く続けるコツではないか。そんなふうに感じています。

あくまで私の生活圏における個人的な実感ですが、どなたかの参考になれば幸いです。


ダイエット記3 減量と維持を支えた「地味な武器」たち

1. タンパク質の「ハイブリッド運用」

筋肉を維持するためにタンパク質が必要なのは周知の事実ですが、これを毎日どう確保するか。 最初は「鶏むね肉」一択で考えていましたが、調理の手間やコスト、そして何より「飽き」が来ます。そこでたどり着いたのが、いくつかの食材を組み合わせる運用でした。

① 業務スーパーの水煮大豆(1kg) これはコスト面での最強の味方でした。 1kg入って300円以下という破格の安さ。乾燥豆から戻す手間も時間もいりません。 もちろん、肉に比べればタンパク質の純度は落ちますが、「カサ増し」としての能力が極めて高いです。カレーやスープに大量に投入することで、物理的に胃を満たし、咀嚼回数を稼ぐ。 「肉だけで満腹にする」のは財布に厳しいですが、「大豆で底上げする」なら毎日続けられるかなと思います。

② パスタと強力粉 意外かもしれませんが、小麦製品も重要なタンパク源として捉え直しました。 特に強力粉はグルテン(タンパク質)が豊富です。これを水と塩だけで練って焼いた素焼きパンや、スープに入れた団子(すいとん)は、余計な脂質ゼロで、驚くほど強い「噛みごたえ」が得られます。 減量中は敵視されがちな炭水化物ですが、維持期においては「ガソリン(糖質)を入れつつ、建材(タンパク質)も補給できる」優秀な食材だと感じています。

③ ホエイプロテイン 普段の食事は大豆などの植物性が中心になるため、プロテインはあえて吸収の早い動物性(ホエイ)を選びました。 栄養補給という目的もありますが、それ以上に「甘いお菓子の代用品」としての役割が大きかった気がします。チョコ味やフルーツ味のプロテインは、脳が「甘いものが欲しい」と訴えてきた時の、最良の鎮静剤になってくれました。

2. 「罪悪感」を消すための主食と防衛食

食事の満足感を下げずに、どうやってカロリーの帳尻を合わせるか。 ここで役立ったのが、以下の二つです。

① マルタイ棒ラーメン これは減量界の隠れた名作だと思います。 ノンフライの乾燥麺であるため、マニュアル通り作っても280kcal程度。 普通の袋麺が450kcal前後あることを考えると、この差は大きいです。 浮いた170kcal分の予算で、卵(タンパク質)や大量の野菜(繊維)をトッピングできる。 「ラーメンを食べてしまった」という罪悪感ではなく、「栄養バランスの整った温かい食事をとった」という満足感で終えられる点が、精神衛生上とても良かったです。

② ちくわ(またはカニカマ) 調理不要、袋から出して即食べられる。 この「即応性」が、ふとした瞬間のつまみ食い防止に役立ちました。 スナック菓子に手が伸びそうな時、とりあえずちくわを一本齧る。それだけで、「何か食べたい」という衝動の8割は収まります。 地味ですが、キッチンの冷蔵庫における最強の門番(ゲートキーパー)だったかもしれません。

3. 「繊維」と「季節」を味方につける

食事制限で一番困るのが、食事量の減少に伴う便秘や、空腹感です。 これを解決するには食物繊維しかありませんが、野菜だけで必要量(20g)を摂ろうとすると、牛や馬のような量を食べる必要が出てきます。

① オールブランと粉末繊維 そこで割り切って使ったのが、朝食のオールブランと、難消化性デキストリンやオオバコ(サイリウム)といった粉末でした。 朝、オールブランで一日の必要量の半分を確保してしまう。残りの不足分は、飲み物に粉末を混ぜて補う。 「野菜を必死に食べる」のではなく、「足りない分は科学の力で補う」というスタンスに変えてから、食事管理がぐっと楽になりました。

② 季節の果物 お菓子を我慢する代わりに、その季節ごとの果物を楽しむようにしました。 冬ならリンゴやみかん、夏ならスイカやマクワウリなどの瓜科。 特に瓜科の果物は、水分とカリウムが豊富で、夏場のむくみ取りにもなります。 冷凍したブルーベリーやマンゴーなども、夏場のアイス代わりとしても優秀でした。 「制限している」と思うと辛いですが、「旬のものを追っている」と思うと、食事が豊かに感じられるものです。

4. マネジメントを支えた二つの「デジタル」

最後に、これら食材以上に私の支えとなった二つのツールについて触れておきます。

① 電子秤(キッチンスケール) 最初は「食べ過ぎないように計る」ための存在だと思っていました。 しかし実際は逆で、「ここまでなら食べていい」という許可証をくれる存在でした。 目分量だと、どうしても不安から摂る量を少なめに見積もってしまい、結果としてエネルギー不足になったり、反動でドカ食いしたりしがちです。 「150g、よし、食べていい」。この安心感が、日々の食事を支えてくれました。電子秤は減らしすぎることを防ぐために使います。

② LLM(AIチャット) そして何より、今こうして文章をまとめている相手でもあるAIの存在です。 ダイエットは孤独な作業です。 「今日はつい食べてしまった」「鶏肉に飽きた」 そんな誰に言うほどでもない愚痴や相談を、24時間いつでも受け止めてくれる。 時には栄養価の計算を頼み、時には励ましてもらう。 彼らは私の「専属栄養士」であり、感情の「壁打ち相手」でもありました。 AIはユーザーの意向を汲みすぎるきらいがあり、厳しいコーチ役には向きませんが、「自分が決めたこと」を整理し、肯定してくれる参謀としては、これ以上ないパートナーだと感じています。


こうして振り返ってみると、減量・維持というのは、単に食べる量を減らす行為ではなく、生活の「道具」を総入れ替えする作業だったのかもしれません。

ポテチをちくわに変え、菓子パンをオールブランに変え、孤独な我慢をAIとの対話に変える。 一つ一つは些細な変化ですが積み重なって減量になると思います。

もちろん、これは今の私に合っていただけの方法であり、万人に通じる正解ではないでしょう。 それでも、もし今、減量や維持の停滞感に悩んでいる方がいれば、「意志」ではなく「道具」を変えてみるのも一つの手かもしれません。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

ダイエット記3 維持のカロリー、運動は必要か?をもう少し

減量という「大掃除」が一段落し、瓦礫の山が片付いた。ここから始まるのは、この状態を保つための「維持期」だ。 攻めの時期から、守りの時期へ。 目標体重への軟着陸(ソフトランディング)を目指し、自身の身体というハードウェアをどう運用していくか。現時点での設計図を記しておく。

1. 食事:1.4倍は「上限」ではなく「必食」

まず、一日に必要なエネルギー量の設定だ。 一般的に、デスクワーク中心の生活者は「基礎代謝 × 1.2」を目安にするよう推奨されることが多い。しかし、前回も触れた通り、この「1.2」という係数は、ベッドや椅子に縛り付けられたような状態を指す数値に近い。いわば、ガソリンを抜かれた機械の「乾燥重量」だ。

我々はあまり動かないとはいえ、日々思考し、生活を営んでいる。乾燥重量での計算は実情にそぐわない。 日本の気候や生活様式を考慮すれば、どれだけ動かない日であっても、係数の下限は**「1.4」**と見積もる。

ここでのポイントは、**「1.4倍以内に抑える(我慢)」ではなく、「1.4倍は必ず摂る(義務)」**と捉えることにある。 しっかりとした食事で規定量のガソリンを入れておかないと、脳はエネルギー不足を感じ、手っ取り早い糖質――菓子やジャンクフード――を渇望し始める。 「1.4倍」は、間食という魔物を封じ込めるための防波堤であり、システムを安定させるための必要経費なのだ。

具体的な運用としては、**「目標体重の基礎代謝 × 1.4」**をベースラインとする。 そのうえで、運動をした日はその分(30分歩いたなら+100kcal程度)を上乗せしてもよいし、しなくてもよい。この程度の誤差は、維持期の長いスパンの中では吸収される。 重要なのは、動かない日であってもガス欠を起こさない「1.4」を確保することだ。

2. 運動:日本の四季と「一回払い」の原則

次に運動だ。 維持期において、どれだけの運動を課すべきか。私は**「30分のウォーキングを1回」**を基本とし、それ以上は求めないことにした。

フィットネスの理論上は、小分けにして回数を増やしたほうが効果的だという説もある。しかし、ここ日本においてそれを実践するのはコストが高すぎる。 5月の連休明けから11月頃まで、日本は亜熱帯のような湿気に包まれる。少し早足で歩けば、20分であっても全身の毛穴が開き、汗だくになる。 運動をするということは、その後の「シャワー」「着替え」「洗濯」という事後処理までがセットになるということだ。

一日二回運動をするということは、一日二回シャワーを浴び、洗濯物を倍にするということである。 雨の日もあれば、風の日もある。生活の隙間で行うはずの運動が、生活そのものを圧迫しては本末転倒だ。 だから、運動は**「一回払い」**に限る。 入浴前の30分。これならコストは最小限で済む。

そして、この「30分」すらも、雨天などでできない日があることを前提とする。 だからこそ、食事の基準を「動かない日(係数1.4)」に合わせておくのだ。 動ければラッキー、動けなくてもプラマイゼロ。 季節や天候に左右されない、運動への依存度は低く設定しておくのが無難かなと思う。

3. 行動の縛り:計算機を捨てるために

ここまで数字の話をしてきたが、毎日細かくカロリー計算をして暮らすつもりはない。 最終的に、この維持システムを自動化するのは、以下の二つのシンプルな「縛り」だ。

① 菓子の買い置きをしない(兵糧攻め) 菓子を食べることは禁止しない。問題なのは「在庫」だ。 自宅に買い置きがあるという状況は、欲望から摂取までのコストを「ゼロ」にしてしまう。パッケージを開けるだけなら、人は無意識に食べてしまう。在庫は補充し、消費するものだと組み込まれると買い置きの意味がなくなる。 だから、在庫は持たない。食べたければ、その都度コンビニへ買いに行く。 「着替えて買いに行く手間」「他の小腹対策で間に合わないかと考える」それでも買いに行くなら、それは立派なウォーキングだ。 

② 23時までに就寝する(閉店ガラガラ) 夜起きていると、ろくなことを考えないし、小腹も減る。 深夜、空腹と理性が戦う「夜食の選択肢」が発生した時点で、すでに負け戦だ。 だから、その選択肢が生まれる前に、眠ってしまう。 さっさと寝てしまえば、食欲に付け入る隙はない。入眠がわりと苦手だけどこうした攻めとも逃避ともとれる理由ができると意外と眠りやすいことも気がついた。

「1.4倍」をしっかり食べ、「30分」だけ歩き、在庫を持たずに「早く寝る」。 おそらく、細かい計算などしなくても、この行動様式を守るだけで、身体は自然と目標の重量へと収束していくはずだ。 それが、減量後を大過なく過ごすための計画です。

追記 次は減量期に役立ったささやかなグッズ、食材などを書いて見ようとおもいます。

2026/02/03

ダイエット記2 維持のカロリー目安、運動は必要か

維持期の運用メモ:係数「1.4」と動作確認としての運動

 目指すのは劇的な変化ではなく、平穏な維持である。そのための「食事」と「運動」のガイドラインを、現時点での記録として残しておく。


1. 食事基準:乾燥重量か、運用重量か

まず、自身に必要なエネルギー量を把握するために、Web上の**「基礎代謝量計算ツール」「メンテナンスカロリー計算ツール」**といった類のものを使用する。 身長、体重、性別を入力すれば、生命維持に必要な数値は機械的に算出される。ここまでは単純な作業だ。


問題は、そこに掛け合わせる「活動係数」の選択にある。 一般的に、デスクワーク中心で運動習慣のない生活者は「1.2」を選ぶよう案内されることが多い。しかし、各種資料や定義を詳しく見ていくと、この「1.2」という数字は、ベッドや椅子に拘束された状態、あるいは入院中のような、極めて静的な状態を指す指標であるように見受けられる。いわば、ガソリンやオイルを抜いた、機械の「乾燥重量」に近い数値だ。


私の生活は確かに静かだが、それでもトイレには立つし、思考のためにデスクで貧乏ゆすりもする。乾燥重量での計算は実情にそぐわない。 日本の公的な食事摂取基準などを参照すると、生活の大部分が座位である「低い」レベルで係数は「1.5」程度に設定されている。

外出の少ない私の生活をここから差し引いても、下限は**「1.4」**あたりが妥当なラインだろう。 1.2ではなく1.4。 これは「甘え」ではなく、エンストを起こさずにシステムを回すための、実質的な「運用重量」としての判断だ。

実際に、過去の体重増加データを逆算してみてもこの数値は裏付けられる。 もっとも太っていた時期、1年で12kg増加したことがあるが、これを熱量に換算して日割りすると、一日の超過分はわずか240kcal程度だった。あれほどの不摂生をしてさえ、身体は代謝を調整し、その程度の黒字に抑えていたことになる。 もし本当に私の代謝係数が1.2程度であれば、計算上は倍以上のペースで太っていなければ辻褄が合わない。 人間の身体は、思うほど簡単には太らないし、思うほど低燃費でもないようだ。


したがって、今後の食事量の基準は以下のように設定する。 「目標とする体重(60kg)の基礎代謝 × 1.4」


現在の体重ではなく、着地点となる体重で計算する。 現状がそれより重ければ、燃費の差分で緩やかに痩せ、軽すぎれば戻る。無理に数値を操作するのではなく、目標値の生活を淡々と続けることで、物理法則に従ってそこへ軟着陸させるアプローチだ。


2. 運動方針:燃焼よりも動作チェック

食事でエネルギー収支の枠組みを決めたうえで、運動をどう組み込むか。 結論から言えば、カロリー消費を主目的とした強度の高い運動は、維持期においては採用しないことにした。


摂取カロリーを管理している時点で、身体には相応の負荷がかかっている。そこへさらに「燃焼」を目的とした長時間の有酸素運動――ロードバイクでの長距離走や長時間のランニングなど――を追加することは、弊害の方が大きいと判断したためだ。


過去の経験だが、摂取を抑えながら排出(運動)を過剰に増やした結果、自律神経が興奮状態になり、夜間の入眠障害に悩まされたことがある。また、運動以外の時間は身体が防衛反応を示し、極度の無気力状態に陥ることもあった。 これでは、数値上の体重は減っても、生活の質そのものが損なわれてしまう。


現在の私に必要なのは、カロリーの消費ではなく、身体機能の維持である。 運動の目的は以下の二点に絞る。


筋肉量の維持 アンダーカロリー環境下では、身体はエネルギー消費の激しい筋肉を分解しようとする傾向がある。これを防ぐため、十分なタンパク質を補給し、「筋肉を使用している」という信号を送る。


ハードウェアの動作確認 関節の可動域や、背中の張りなどを確認するための軽い運動。


息が上がるほどの負荷は必要ない。 機械の錆びつきを防ぐためにオイルを回し、各パーツが正常に動くかどうかの「動作チェック」を行う。 日々の運用としては、その程度が最もコストとパフォーマンスのバランスが良いと考えている。


3. 結論

係数は「1.2」ではなく、実態に合わせて「1.4」を採用する。

目標体重を基準としたカロリー摂取を淡々と守る。

運動は燃焼のためではなく、維持と点検のために行う。

 これからは、この設定されたシステムに従って、大過なく日々を回していく。


追記

1年で12キロ太っていた増加の加速時期だとしても、おそらく毎日食事以外に取っていた、コンビニのカフェオレ、ポテチ60g、菓子パンのうち、

ポテチだけやめてメンテナンス的な運動、ウォーキング30分とかしてたら、おそらく甘いカフェオレを飲んで、菓子パンを食べながら緩やかに、しかし数カ月後にはそれなりに減量してたと思うんですよね。

あの加速期であっても一日あたり約240kcalの余剰

**「ポテチを一袋やめる」だけで、+240kcalの黒字が消滅し、逆に-90kcalの赤字(減量)に転じていた**計算になります。 

そこにウォーキング(-150kcal程度)が加われば、一日あたりマイナス200〜300kcal

2026/02/01

祭りのあと、あるいは玄関の憂鬱について(ダイエット記 その1)

昨年の9月はじめから今年の1月の最終日まで、多く見積もっても5ヶ月ほど。 これが前回、私が減量に取り組んだ期間だ。


動機は至って即物的で、個人的なものだ。 玄関に収納を置いたせいで、ただでさえ広くないスペースがさらに狭くなってしまった。出かける際、靴を履こうとかがむたびに、ケツが壁や家具に挟まるような窮屈さを感じる。 その物理的な「詰まり感」がどうにも不愉快で、自分の体積の方を減らして解決しようと思い立ったに過ぎない。


減量そのものは、じつはそんなに大変ではなかった。 昨日より今日、今日より明日と、身体が軽くなっていく変化はそれだけで強力な燃料になる。多少の無茶も、変化というイベントの中では苦にならない。ある種の「祭り」のようなものだ。体重が減って身軽になっているというモチベーションがモチベーションを増やす効果は大きく結局チートデイを一日も挟まずに走り終えてしまった。






問題は、祭りが終わったあとのこと。維持期間だ。


目標の数字に届いた瞬間、わかりやすい変化は止まる。ここから先は「減らす」のではなく、プラスマイナスゼロの地点に留まり続けることがミッションになる。 減量と維持では、求められるモチベーションの質が決定的に違う。変化という報酬がない中で、うまくいっているのかどうかも判然としないシステムを回し続ける。 誰もがやっている、当たり前の日常に戻るだけのことだが、これが一番難しい。


なぜそこまでして維持するのか。 別に、これから身体を鍛えてアスリートみたいになりたいわけではない。筋肉を盛りたいとか、健康長寿を誇りたいといったポジティブな野心は、正直なところ無い。


ただ、私はこれまで長く、自分の健康に対してなげやりだった。 そのツケは確実に回ってきていて、ここ数年でも奥歯を抜いたり視力が落ちたり、機能はすでに損なわれてしまった。これらはもう、悔やんでも元の性能には戻らない。 あとからでもリカバリーが効く「体重」というパラメータくらいは、適正値に戻しておこうと思ったのだ。


これ以上、不具合を増やさないために。 フィジカルを盛るのではなく、大過なく過ごせる水準で低空飛行を続けること。 自分という、もはや新品ではないハードウェアを、騙し騙し長く使うためのメンテナンス作業。それが今回の維持のテーマだ。


だから、維持を生活の主役にはしないと決めている。 完璧な健康管理を目指すと息が詰まる。あくまで、アバウトでも回るシステムでいい。


朝と昼の食事は、考えるコストを省くために固定した。 冷凍食品や乾物を活用して、毎日同じ雑炊とプロテイン。味気ないが、迷いがない分だけ脳のリソースを使わずに済む。 夜の自由枠に食べ過ぎたり、外食で数日ルーチンが崩れたりしても、いちいち深刻な「反省会」など開かない。 「ああ、崩れたな」と事実だけを認め、翌日からはまた黙って、いつものルーチンに戻る。 崩れたら、戻す。感情を挟まず、ただ淡々と復旧作業を行う。そのくらいの「雑さ」がないと、変化のない維持期間は乗り切れない気がする。


現在は、ローカロリー生活の弊害だった日中の「ガス欠」対策に取り組んでいるところだ。 15時頃に襲ってくる強烈な眠気とエネルギー切れ。これを防ぐために、朝の運動前にプロテインを飲み、炭水化物の配分を微調整する実験を始めた。 どうやらこれが功を奏しそうで、泥のような疲労感からは解放されつつある。


システムは回り始めた。 玄関で靴を履く際、背中を丸めてもどこにもぶつからない。 今のところ、すべては順調だ。


もっとも、摂取カロリーの縛りはだいぶ緩くなったはずなのに、減量時よりも「お腹が減ったな」と思いながら一日を過ごしている。「やれやれ先は長いのか?」 そう独りごちて、今日もまた淡々と、予定通りの食事を口に運ぶだけだ。


(追記:これからのこと)

せっかくなので、もう少しダイエットについての覚書を残しておこうと思う。あと二回ほどは書くつもりだ。

次回は、もう一度「維持」の考え方について。 多くの人が躓く「基礎代謝」と「維持カロリー」の数字の罠について整理したい。運動は効果があるのかなども。

そして最後は、役に立ったモノたちの話。 精神論ではなく、物理的に私を助けてくれた道具と食材――食べ物の重さを測るデジタル秤、大豆、プロテイン、そしてデキストリンやサイリウムといった食物繊維粉末などについて触れる予定だ。



2025/12/01

📄 長期ひきこもり状態における社会的適応の考察:ペルソナの喪失と加齢による適応

 序章:ペルソナの喪失と活動の停滞

長期間にわたり社会から離脱した状態にある人々は、精神的な混乱が沈静化した後も、外出を避ける行動が継続することが少なくない。これは、明確な病理やトラウマによるものではなく、社会という場に立つために必要な**「演じるべき役割(ペルソナ)」を失ったこと**に起因する。役割を失うことは、社会との接点における自己の振る舞い方が不明確になることを意味し、これが物理的な活動の停滞として現れる。

第1章:社会的透明化の難易度

役割(学生、会社員など)を持たない個人が社会と対峙する際に求められるのは、成果や称賛ではなく、「無難であること」、すなわち風景に溶け込むことである。この「無難である」という状態の達成には、極めて高度な非言語的(ノンバーバル)な演技力が要求される。

「無難さ」を成立させるには、以下の要素を同時に否定する必要がある。

  • 舐められている印象を与えない(威厳の維持)

  • 怖がられない(安全性の証明)

  • 気難しいと思われない(コミュニケーションコストの低さ)

  • 不審に思われない(異物感の払拭)

他者は、言動ではなく「様子」や「空気感」といったノンバーバルな情報によって、個人を瞬時に「安全」か「不審」かフィルタリングする。社会への適応を強く意識し、「普通」を演じようとする過度な努力は、かえって身体の強張りや視線の動揺を引き起こし、「挙動不審な人物」として認識されるパラドックスを生む。この**「普通を演じる必死さが異常なサインとなる」**という現象が、社会への一歩を阻害する大きな要因となる。

第2章:セーフティネットの不在と演技の破綻

社会的な場における「余裕のある振る舞い」や「堂々とした態度」は、その背後に**「失敗しても受け入れられる場所がある」「自己を肯定してくれる所属がある」**というセーフティネットが存在して初めて成立する。

長期の社会からの離脱状態にある個人は、この「後ろ盾」を欠いている場合が多く、たった一人で社会に立ち、余裕のあるフリを試みることになる。これは命綱なしの綱渡りに等しく、演技は容易に破綻し、他者の視線に対する恐れから、さらに自己隔離を深める結果につながる。

第3章:加齢による消極的な適応

このパラドックスからの脱却は、努力や訓練ではなく、しばしば**「加齢」**という消極的な変化によってもたらされる。加齢は、長期ひきこもり状態の文脈において、以下の二側面で「救済」として機能する。

  1. 「期待」の消滅: 若年期に内在していた「まだ何者かになれる」「立派な形で社会復帰しなければならない」という自己への過剰な期待は、完璧なペルソナを演じる重圧の源泉となる。年齢を重ねることで「今さら何者にもなれない」という諦念が生じ、この期待という「力み」が逆説的に解放される。

  2. 「恐れ」の摩耗: 他者からの不審な視線や軽蔑に対する恐怖は、時間の経過とともに慣れが生じ、その強度が低下する。「不審に思われても実害はない」という開き直りが生まれ、社会は「戦場」から「ただの不快な場所」へとランクダウンする。

第4章:意図せざる「自然体」の獲得

自己への「期待」と他者への「恐れ」という二つの精神的エネルギーレベルが加齢によって低下した結果、意図せずして**「肩の力が抜けた状態」**が獲得される。

  • よく見せようとしないことで、視線が安定する。

  • 警戒しすぎないことで、挙動が緩慢になる。

この「力みのない状態」は、周囲からは「落ち着いている」「この場に慣れている」「安全な人物だ」と判断される。社会に適応しようと努めていた頃は「不審者」として弾かれていた個人が、社会への期待を捨てた瞬間に、社会が求めていた「無難な大人」のペルソナを、皮肉にも自然な形で完成させることになる。また、外見的な加齢は、昼間にふらつく「若者」の違和感を消し、「冴えない中高年」というありふれたカテゴリに収納されることで、社会的透明化を促進する。

結び:平穏な無関心の獲得

このプロセスによって手に入れられるのは、成功や称賛ではなく、**「平穏な無関心」**という状態である。これは、日常的な外出や公共交通機関の利用時に、他者の視線や評価を過度に気にせずいられる心理的安定である。

時間は可能性を奪うが、同時に、個人を縛り付けていた過剰な**「自意識の鋭さ」や「期待の高さ」**という重たい鎧を錆びさせ、崩れ落とす機能も持つ。この「誰でもなさ」こそが、社会的なストレスから解放された、最も居心地の良い適応の形となり得る。

【ポイ活経過】Microsoft Rewards、意外と「悪くない」ので続いてます。

 前回、 Microsoftのポイ活「Microsoft Rewards」について軽く紹介しましたが、 今回はその後の経過報告です。 「ポイ活」と聞くと、これは今のところかなり気楽に続いています。 まずは現状のステータス画面を。 1日22円の積み重ね さて、実際にどれくらい貯まる...