最近、再始動について考えることがある。
「今がこれからで一番若い」とか「遅れは取り戻せる」とか、何かを始める話をするとそういう言葉がよく出てくる。前向きな力があるのはわかるし、実際そういう言葉に助けられることもある。
ただ自分の場合、つまずくポイントがちょっとズレていた。
動き出し自体は、意外とできる。最初はゆるく始められるし、「昨日よりできた」「先月より前に進んだ」という実感も出てくる。問題はその後だった。
慣れてくると、今度は効率が気になり始める。せっかくならもっとうまくやりたい。もう少し増やせるかもしれない。関連することも一緒にやった方がいいかもしれない。効率化や拡張を考え始めること自体は自然なことだと思う。
でも振り返ると、自分が崩れるのはいつも動き出しの時期ではなく、軌道に乗った後だった。勢いがついてくると、進むことより速度の管理の方が難しくなる。
それで最近は、「どれだけ加速できるか」ではなく、「どう運用するか」という視点で再始動を考えるようになった。ここでいう運用とは、途中で失速したり中断したりしても、ゼロ地点に戻らないための設計のことだ。
続けていると、必ず何か起きる。疲れることもあるし、飽きることもある。生活が変わることもあるし、単純に体調を崩すこともある。長く続けるほど、その確率は上がる。
そこで大事になるのは、「絶対に踏み外さないこと」じゃないと思っている。多少踏み外しても、それをゼロとみなさないことだ。
たとえば半年続けた後に一か月休んだとしても、半年続けた事実は消えない。「全部無駄になった」と考えると本当にゼロからやり直すことになるけど、「半年続いた上で一か月休んだ」と考えるなら、現在地は残る。積み上げたものも、再開するための経験も。
規模は違うけど、ひきこもりから外に出始めた人が数日家にいたとして、それまでの積み重ねが消えるわけじゃない。再開できるだけの経験は残っている。
再始動を難しくするのは、失敗そのものより、失敗を全損として扱うことなのかもしれない。
もう一つ、最近意識していることがある。初期のコストをかけすぎないことだ。ここでいうコストは、金銭的・制度的な先払いのコミットメントのこと。
以前は大きな先払いをして自分を追い込む方法を選んでいた。でも今は、年間契約より月契約を選ぶようにしている。最初から大きく賭けるより、途中で方向転換できる余地を残しておく。
これは本気じゃないからじゃない。むしろ長く続けたいからだ。再開の敷居を下げておくこと自体が、運用設計の一部だと思っている。
再始動の初期は、成功体験が目立つ。でもある程度進むと、課題は加速ではなく維持になる。そして維持の段階では、「一度も崩れないこと」より、「崩れた後に戻ってこられること」の方が大事になってくる。
再始動とは、止まらないことじゃないのかもしれない。多少止まっても、多少遅くなっても、また歩き出せる状態を残しておくこと。
最近はそんなふうに考えている。

