私はひきこもりです。ひきこもりという言葉は、社会から離れて生活している人たちを指すカテゴリーです。しかし、このカテゴリーはわたしを表しているのか、何を思っているか、何を感じているか、何を望んでいるかを納得するためには十分ではありません。この文章では、ひきこもりというカテゴリーへの考え方を書きます。
私は自分の中でひきこもりというカテゴリーの意味を定義しようとしましたが、それで何者であるかということが埋まったわけではありません。ひきこもりという言葉は、状態を説明するためのひとつのツールに過ぎません。何者であるかということをカテゴリーで埋めることはできません。そのカテゴリーを再定義したとしても、それは私ではありません。
何者であるかというのは、色々な場面にあたって、いろいろな場所に行って、ふとその断片の一つに気づくものだと思います。断片を集めたら、だいたい出来上がっているでしょう。しかし、私はですが、何者であるかということよりも、その課題を脇に除けて、やっていることで埋めていたらそこまで深刻に考える必要がないかもしれません。残念なことに活動をすることと調子を崩す事で一進一退で足踏みをしています。
なにかのカテゴリーに属することや、そのカテゴリーを再定義することは、アイデンティティや自己肯定感を高めることにつながるかもしれません。役割や価値や目標を見出すことができるかもしれません。状況や感情や思いを言語化することができるかもしれません。しかし、それだけでは十分ではありません。何者であるかということを考えることは、人生の目的や方向性を見つけるための手段であって、目的そのものではありません。
これからどうするべきか、まだわかりません。
文章を読んでくださってありがとうございました。

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