2023/06/30

ひきこもりという言葉について考えた

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私はひきこもり当事者です。ひきこもりという言葉は、社会的な現象を表すために作られたものであり、個人のアイデンティティを反映するものではありません。

しかし、この言葉は私たちの生活や感情に大きな影響を与えています。この文書では、ひきこもりという言葉の意味と使い方について考えてみたいとす。


まず、ひきこもりとは何でしょうか。ひきこもりとは、仕事や学校に行けず、家に籠って家族以外と交流がない状態の人を指す言葉です。しかし、ひきこもりの定義は、様々な機関や研究者によって異なります。一般的には、「6カ月以上社会参加をしない状態が持続すること」、「他の精神障害がその第一の原因とは考えにくいこと」、「年齢や性別に関係なく発生すること」などが条件とされます。


次に、ひきこもり状態にある人々は一様ではありません。その原因や背景、性格や嗜好、外出の頻度や範囲などによって様々な特徴を持ちます。

ひきこもり状態にある人々は自分たちを一つの集団として認識しているとは限らないので、「われわれひきこもりは」という表現や、ひきこもりは〇〇であるという一般化は便宜的なものとしては意味が通じますが、ひきこもり状態にある人々の多様性や個性を尊重しながら言うと、少し矛盾する言い回しかもしれません。



最後に、ひきこもりというカテゴリに属する人々は、それぞれ自分自身をどう捉えているか、どう表現したいかが異なります。そのため、ひきこもりという言葉を使う際には、その背景や文脈に注意して、相手の気持ちや立場を尊重する必要があります。呼び名について摩擦を起こしそうなときには私が後ろに退こうと思います。

私はカテゴリに囚われていることを露呈しないようにしたいです。カテゴリに囚われるというのは、自分や他者の存在や状態を一つの言葉や概念に限定してしまうことで、その言葉や概念によって自分や他者の可能性や選択肢を制限してしまうことだと思います。

 

 以上が私の考えです。ひきこもりという言葉は、私たちの生活や感情に大きな影響を与えていますが、それだけでは私たちを表現できないことを忘れないでください。私たちはひきこもりというカテゴリに属するかもしれませんが、それ以上に個人として尊重されるべきです。この文書が少しでもお役に立てれば幸いです。ありがとうございました



追記 ひきこもりの公の定義も若干揺れ幅があるようでややこしいと思います。「他の精神障害がその第一の原因とは考えにくいこと」というのは医療者が医療行為の濫用を防ぐために設定した言葉ではあると思うのですが、実情としてうつや統合失調でのひきこもり状態もひきもりに入ってたりしますので。


厚生労働省は、「ひきこもりとは、様々な要因の結果として、社会的参加を回避し、原則的には6か月以上にわたっておおむね家庭内にとどまり続けている状態」と定義しています。


内閣府は、「ひきこもりとは、仕事や学校に行けず家に籠り、家族以外と交流がない状況またはそうした生活をしている人を指す」と定義しています。
 

一般社団法人日本ひきこもり協会は、「ひきこもりとは、20代後半までに問題化すること、6カ月以上、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続すること、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいこと」と定義しています

これらの定義を比較すると、ひきこもりの年齢や期間、精神障害の有無などについて異なる見解があることがわかります。また、ひきこもりの原因や背景についても、不登校や職場問題、統合失調症や発達障害など様々な要素が関係している可能性があります。

したがって、ひきこもりという言葉を使う際には、その背景や文脈に注意して、相手の気持ちや立場を尊重する必要があると思います。



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2 件のコメント:

  1. 6カ月以上~という条件は外されたみたいですよ

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    1. コメントありがとうございます。教えてくださって思い出しました。さいきん見直しをってニュースがありましたね。

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