ひきこもりであることを隠すことには合理性があるのか
私はひきこもりであることを話すか話さないかについて悩んでいます。 この記事では、その悩みの背景や理由を説明し、自分の考えを示します。 ひきこもりであることを話す場合 ひきこもりであることを話す場合の良い点と悪い点は以下の通りです。 - 良い点:自分の状況や感情を正直に伝えることで、他者から共感や理解を得られる可能性があります - 悪い点:話すことで傷つくことがあります。例えば、「自分は家にいるのはぜんぜん苦じゃないんだよね」「ひきこもってられるのは良いことだようらやましいよ」というような発言をされることがあり、上から目線で無神経な発言に感じます。そういう発言に対してストレスを感じます。 ひきこもりであることを話さない場合 ひきこもりであることを話さない場合の利点と欠点は以下の通りです。 - 利点:自分の弱みを隠すことで、冷淡な接し方や雑な扱いを避けられる可能性があります。かわりに抗議する人がいないと思われるので、雑な扱いをされやすくなるという考えです。それなのでちゃんと扱われるため、あまり自分の弱みを語らずに擬態することにも合理性はあるようにも思います。 - 欠点:孤立することや学ぶ機会を失うこと。前回の記事『周りの人との距離感について考えてみた』では、「要するに、支援者に求めるような期待を別の立場の人に求めるのをやめて、他の人との関係から新しい見方や考え方を見つけられるのではないかと思います」と書きました。 私はひきこもりから脱したいかという問は、ちょっと難しいです。健康状態などあまり変えられない事も絡んでいますから。それなので活動できるときもあれば、できないときもあります。トータルではそれほど活動が多くなくとも日常は、不調に崩れることを見越しながら積み直そうとする持久戦のようにも思えます。ポジティブにそう思っているわけではなく、大きな変化は続かないことからの妥協です。 私はひきこもりであることを言うか言わないかについて決めかねています。 言うのか言わないのか、結論は今回も出ません。 言う言わないによる他人の対応などはそもそもコントロールしきれないので今の悩み自体がナンセンスな気はします。けっきょくのところその場次第でもあるでしょう。いまは自分の行動範囲の中で、やっかいに見られないように振る舞おうとしているだけです。 参照記...