昨年の9月はじめから今年の1月の最終日まで、多く見積もっても5ヶ月ほど。 これが前回、私が減量に取り組んだ期間だ。
動機は至って即物的で、個人的なものだ。 玄関に収納を置いたせいで、ただでさえ広くないスペースがさらに狭くなってしまった。出かける際、靴を履こうとかがむたびに、ケツが壁や家具に挟まるような窮屈さを感じる。 その物理的な「詰まり感」がどうにも不愉快で、自分の体積の方を減らして解決しようと思い立ったに過ぎない。
減量そのものは、じつはそんなに大変ではなかった。 昨日より今日、今日より明日と、身体が軽くなっていく変化はそれだけで強力な燃料になる。多少の無茶も、変化というイベントの中では苦にならない。ある種の「祭り」のようなものだ。体重が減って身軽になっているというモチベーションがモチベーションを増やす効果は大きく結局チートデイを一日も挟まずに走り終えてしまった。
問題は、祭りが終わったあとのこと。維持期間だ。
目標の数字に届いた瞬間、わかりやすい変化は止まる。ここから先は「減らす」のではなく、プラスマイナスゼロの地点に留まり続けることがミッションになる。 減量と維持では、求められるモチベーションの質が決定的に違う。変化という報酬がない中で、うまくいっているのかどうかも判然としないシステムを回し続ける。 誰もがやっている、当たり前の日常に戻るだけのことだが、これが一番難しい。
なぜそこまでして維持するのか。 別に、これから身体を鍛えてアスリートみたいになりたいわけではない。筋肉を盛りたいとか、健康長寿を誇りたいといったポジティブな野心は、正直なところ無い。
ただ、私はこれまで長く、自分の健康に対してなげやりだった。 そのツケは確実に回ってきていて、ここ数年でも奥歯を抜いたり視力が落ちたり、機能はすでに損なわれてしまった。これらはもう、悔やんでも元の性能には戻らない。 あとからでもリカバリーが効く「体重」というパラメータくらいは、適正値に戻しておこうと思ったのだ。
これ以上、不具合を増やさないために。 フィジカルを盛るのではなく、大過なく過ごせる水準で低空飛行を続けること。 自分という、もはや新品ではないハードウェアを、騙し騙し長く使うためのメンテナンス作業。それが今回の維持のテーマだ。
だから、維持を生活の主役にはしないと決めている。 完璧な健康管理を目指すと息が詰まる。あくまで、アバウトでも回るシステムでいい。
朝と昼の食事は、考えるコストを省くために固定した。 冷凍食品や乾物を活用して、毎日同じ雑炊とプロテイン。味気ないが、迷いがない分だけ脳のリソースを使わずに済む。 夜の自由枠に食べ過ぎたり、外食で数日ルーチンが崩れたりしても、いちいち深刻な「反省会」など開かない。 「ああ、崩れたな」と事実だけを認め、翌日からはまた黙って、いつものルーチンに戻る。 崩れたら、戻す。感情を挟まず、ただ淡々と復旧作業を行う。そのくらいの「雑さ」がないと、変化のない維持期間は乗り切れない気がする。
現在は、ローカロリー生活の弊害だった日中の「ガス欠」対策に取り組んでいるところだ。 15時頃に襲ってくる強烈な眠気とエネルギー切れ。これを防ぐために、朝の運動前にプロテインを飲み、炭水化物の配分を微調整する実験を始めた。 どうやらこれが功を奏しそうで、泥のような疲労感からは解放されつつある。
システムは回り始めた。 玄関で靴を履く際、背中を丸めてもどこにもぶつからない。 今のところ、すべては順調だ。
もっとも、摂取カロリーの縛りはだいぶ緩くなったはずなのに、減量時よりも「お腹が減ったな」と思いながら一日を過ごしている。「やれやれ先は長いのか?」 そう独りごちて、今日もまた淡々と、予定通りの食事を口に運ぶだけだ。
(追記:これからのこと)
せっかくなので、もう少しダイエットについての覚書を残しておこうと思う。あと二回ほどは書くつもりだ。
次回は、もう一度「維持」の考え方について。 多くの人が躓く「基礎代謝」と「維持カロリー」の数字の罠について整理したい。運動は効果があるのかなども。
そして最後は、役に立ったモノたちの話。 精神論ではなく、物理的に私を助けてくれた道具と食材――食べ物の重さを測るデジタル秤、大豆、プロテイン、そしてデキストリンやサイリウムといった食物繊維粉末などについて触れる予定だ。

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