歩くことはストレス解消に良いと、世間ではよく言われている。頭を空っぽにして規則的に足を動かせば、鬱屈とした気分も晴れていく。理屈としては十分に理解しているつもりだ。しかし、皮肉なことに心身の調子が本当に悪くなってしまうと、人間はぱったりと歩かなくなる。玄関のドアを開けて外に出ることすら億劫になり、ただ部屋の中でじっとやり過ごすしかなくなってしまうのだ。だからこそ、そうなる前の予防策として、なるべく習慣的に歩きに出ようと心に決めている。
とはいえ、「健康のため」「運動のため」と高尚な目的を掲げすぎてしまうと、それはたちまち日々の義務へと姿を変え、かえって足取りを重くしてしまう。だからこの頃は、なるべく気負わずに歩き出すようにしている。ウェアを着込んだり、特別な準備をしたりはしない。履き慣れたスニーカーにに足を滑らせ、ただフラッと外へ出るだけだ。
ひとたび外へ出れば、狭い部屋の中にいるよりも、偶然に出会うものが圧倒的に多い。やや早足で、軽めの足取りでいつもの道を抜けていく。すれ違う子どもたちの楽しげな会話の断片。風に揺れる木々の間からこぼれ落ちる、柔らかい木漏れ日。ふと空を厚い雲がよぎり、一瞬だけ世界がフッと暗くなる静かな時間。どこかの庭先で生け垣を剪定したばかりなのだろう、鼻をくすぐる青臭い植物の匂い。私はそれらを立ち止まって凝視するわけではない。ただ通り過ぎながら、景色の一部としてぼんやりと受け止め、また歩き続ける。
こうして歩こうとしているのは、根本を辿ればメンタルや体調が崩れないようにするための予防策に他ならない。しかし、歩いている最中は、そんなもっともらしい理由は意識の片隅にすっかり追いやってしまう。「運動しなきゃ」という強迫観念から自分を解放し、ただ外の空気に触れて、少しリラックスした自分の本来の調子を思い出す。それこそが、今の私にとって最も大切なことなのだ。
息を切らして汗をかくようなハードな運動は求めていない。その日の気分に合わせて適当な距離を歩く。疲労困憊になるまで歩き続けるのではなく、まだ少し歩けそうだなという「余力」を残して家路につく。靴を脱いで部屋に戻ったとき、心身の風通しがほんの少しだけ良くなっているのを感じる。気負わない、目的を忘れるための散歩。それが、今の私にちょうどいい習慣になっている。

0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント投稿ありがとうございます。お寄せ頂いたコメントは、管理者が確認後掲載されます。