毎日キッチンスケールで食材の重さを量り、数値を計算する。
総カロリーはもちろん、PFC(タンパク質・脂質・炭水化物)のバランスから食物繊維の量まで、毎日きっちり記録をつけている。
我ながら、かなり真面目に数値を管理しているほうだと思う。
でも、そこまで徹底して記録と向き合っているからこそ、最近になって痛感していることがある。
ダイエットをしていると、だんだんこう思うのだ。
**「なーんもわからん」**と。
もちろん、まったく何もわからないわけではない。
「今の維持カロリーから、1日200キロカロリーくらい少なめにしていく」といった方法はよく見聞きするし、急激に食事を削るより無難で、無理をしにくい方針として真っ当だ。
でも、その「200キロカロリー少なめ」が本当にできているかというと……実はよくわからない。
正確な数値は、誰にもわからない
ダイエットをする人にとって、実は**「正しい数値」がわからないことだらけ**だ。
自分の維持カロリーが、ぴたりと何キロカロリーなのか?
今日の消費カロリーは、正確にはどれくらいか?
低カロリーを続けた結果、どれくらい身体が省エネ化しているのか?
食べたもののカロリー計算に、どれくらい誤差があるのか?
日常生活の中で、これらを厳密に把握することはほぼ不可能に近い。
それでも「記録」が無駄ではない理由
では、日々の体重測定や食事の記録は無意味なのだろうか?
決してそんなことはない。
毎日の体重の増減が「脂肪」なのか「水分」なのかはわからない。記録自体はかなり粗いものだ。しかし、粗いからといって無駄とは限らない。
日々の体重は「点」としては当てにならなくても、週単位の「線」として見れば、**少しずつ傾き(トレンド)**が見えてくる。
食事記録も、正確なカロリーを確定できなくても、「最近なんとなく量が増えていないか」「間食が荒れていないか」という方針のブレを確認する助けになる。
つまり記録は、正しさを証明するものではなく、進む方向の「傾き」を見るためのコンパスなのだ。
数字以上に大切な「主観」という警報装置
そして、数字と同じくらい、いやそれ以上に大事なのが**「主観」**だと思う。
今日は妙に眠い
同じように食べているのに、空腹感がきつい
なんでもないのにイライラする
やけにバテる
こうした主観の変化は、体重のようにおおらかに週単位で見ていては手遅れになることがある。主観は、もっと短いスパンで点滅する黄色信号だ。
「このまま行くと身体を壊すぞ」「その前に、同じやり方を嫌になって放り出すぞ」という、破綻の予兆を教えてくれる。
まとめ:わからないなりに運転しよう
ダイエットの記録とは、正解の数値を知るためのものではない。
傾きを見るための「コンパス」と、無理をしすぎていることを知らせる「警報装置」。
そのくらいのものとして使うのが、一番現実的なんじゃないだろうか。
ダイエットは、たぶん私たちが思っている以上に**「なーんもわからん」**ものだ。
でも、なーんもわからんからこそ。わからないなりに傾きを見て、危ない信号を拾って、少しずつ運転していくしかないのだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント投稿ありがとうございます。お寄せ頂いたコメントは、管理者が確認後掲載されます。